最近の悩みに関する記事を発見。



【ON OFF AND BEYOND [渡辺千賀]テクノロジー・ベンチャー・シリコンバレーの暮らし】
サイコパス的創業者の明暗を分けるのは何か – スティーブ・ジョブスとエリザベス・ホームズの考察



最近、「サイコパス」に関するドラマを見たり、「サイコパス」がキーワードとなる事件を見たりしながら、「スタートアップってサイコパスでなければならないのか?」と感じてます。




私の感じていることを誤解を恐れず敢えて言うならば、ここの文脈の「サイコパス的」にビジネスとアカデミアの違いがあるということです。


以前、"Evil Genius? How Dishonesty Can Lead to Greater Creativity"という論文をレビューしたのですが、不正直がより大きな創造性を導くという話があります。


ビジネスの場合、仮説段階にあるものをサービスと語ることが「悪意ある嘘」か「根拠ない思い込みを貫いている状態」を区別することは、不可能の証明ができないという点で非常に難しいんですよね。


こう書くと「嘘をついて儲けることを認めるべき」という話だと誤解されるし、一般的文言として「立証されてないものをサービスにすべきではない」は正しいので少しそういう要素があることは認めなければなりません。


しかしながら、仮にそれが科学的立証であったとしてもそこには必ずグラデーションが存在し、それはラトゥールの「科学が作られているとき」で語られているように「そもそも科学ですら正しさが確立するまでには正反対の意見が存在するレベルの過程が長時間存在しうる」んですよね。


・・・ってこのこともまた、つい1年ちょっと前に過去に記事にしてました・・・(^^;;;。







さて、それ以上にこの記事の中で響いた(かつ「サイコパス関係ないじゃん!」)のはこの記事でジョブスとホームズの違いについて指摘している次の箇所。


ただ、それ以上に私が思うのは、「スティーブジョブスが成功したのは、彼のタイミングが、コンピューターの技術革新スピードと絶妙にあっていたから」という時代要因だ。

(中略)

それを世に広めるエバンジェリストであるジョブスのような人が成功できた。


Innovativeなプロセスは必ず「社会受容との闘い」の過程が存在し、無論そこに時代要因は無視できないのですが、じゃあなんでそこを最初に乗り越えたのがジョブスだったかというと、やっぱり彼は普通の人は理解しがたい未来をリアルに見せることができたんだと思うんですよね。


まぁそこに至るまでの時間には運の要素もあるので、「必ずうまく行く方法がある」という類の話ではないと思うのですが、



「理解されないから主張のポイントを変えよう」



という戦略はダメなんじゃないか・・・というよりそもそも



「理解されないのは
自分に十分な説得力がない
からだ」



と考えないといけないよね、ということに思い至っております。



これまでは、主張したところで「それは立証されているのか?」と問われると、科学者としての私はそこでひよってしまう部分があったのですが、言葉と表情を変えずに強気で答えてた場合でも、そこにはやっぱり「ひより」の空気が漂ってたと思うんですよ。



そうなると、そこに必要な強さはある種のサイコパス的な強さなのかなぁ・・・と結局サイコパスに戻ってくるわけで、それが冒頭の悩み(の一部)というわけです。




そんなわけで、「メタ思考とサイコパスの両立」にしばらく挑んでみようと思っております。





誰だ、「あんた既にサイコパスじゃん」って言ってるのは!
・・・でもまぁ、そうかもね。