NODA MAPはチケットが取れなかった以外は大抵の作品を観てる程度に野田秀樹さんのファンと言っていいと思います。


こまばアゴラ劇場の支配人でいらっしゃる平田オリザさんは、名前だけですが学生時代から存じておりますし、こまばアゴラ劇場の存在意義はそれなりに承知しているつもりです。


【2020/05/09のniftyニュースの記事】
三谷幸喜に称賛! 野田秀樹に罵声…コロナ禍で演劇人の明暗クッキリ








野田秀樹さんの意見書より
(抜粋)演劇は観客がいて初めて成り立つ芸術です。スポーツイベントのように無観客で成り立つわけではありません。ひとたび劇場を閉鎖した場合、再開が困難になるおそれがあり、それは「演劇の死」を意味しかねません。


平田オリザさんのNHKインタビュー記事より
(抜粋)それから、ぜひちょっとお考えいただきたいのは、製造業の場合は、景気が回復してきたら増産してたくさん作ってたくさん売ればいいですよね。でも私たちはそうはいかないんです。客席には数が限られてますから。製造業の場合は、景気が良くなったらたくさんものを作って売ればある程度損失は回復できる。でも私たちはそうはいかない。製造業の支援とは違うスタイルの支援が必要になってきている。観光業も同じですよね。部屋数が決まっているから、コロナ危機から回復したら儲ければいいじゃないかというわけにはいかないんです。批判をするつもりはないですけれども、そういった形のないもの、ソフトを扱う産業に対する支援というのは、まだちょっと行政が慣れていないなと感じます。



この2つの発言に、「スポーツは無観客でいいとかなめてる」「製造業に対する理解がなさすぎる」のように炎上しています。


私も「配慮が足りないなー」とは思いますが・・・コロナ禍の休業や自粛に伴う景気悪化で、飲食業やコンサート、ライブハウス、フリーランスへの支援が議論される中、演劇についてはあまり触れられてません。


上記野田さんのスポーツ・平田さんの製造業との対比発言については「あいつらはあまり問題ないけど」のような意図ではなく(対比する以上、自分たちの方が状況が悪いとは思っていると思いますが)




演劇についても考えてほしい




ということなのだと思っています。







一方で、niftyニュースでは三谷幸喜さんが賞賛を浴びている、ということも触れられています。映画にもなった三谷さんの舞台「12人の優しい日本人」を、名だたる三谷組俳優陣が



一方で、niftyニュースでは三谷幸喜さんが賞賛を浴びている、ということも触れられています。映画にもなった三谷さんの舞台「12人の優しい日本人」の台本を名だたる三谷組俳優陣がzoomで読む会が5/6開催されたんです。なんと視聴無料。発起人は三谷作品常連の近藤芳正さん。




ありがとー!




この作品、私は残念ながら映画だけで舞台は見てないんですが、三谷作品の中で一番好き。しかも、5/6は仕事だったんでライブで見られなかったんですが、5月中はアーカイブで見られるって・・・




ありがとー!





実はこの作品、Xenomaの合宿で上映会しようかと思ったくらいで(著作権問題もあると思って止めました)、このブログ記事と関係なくオススメです。




ところでこの2つの状況、あまりに真逆ですよね。三谷作品がタダで見られることが賞賛だ、ってことなんでしょうか・・・例えば野田さんや平田さんがタダでやればよかった、って話なんでしょうか?









私は全く当事者ではないのですが、コロナ禍の状況と別にこれは昔からある



小劇場と商業演劇

あるいは

劇場と商業主義



の対立が根底にあるんだと考えています。



今もアゴラ劇場支配人の平田さんは無論のこと、野田さんはこれほどメジャーになってもなお小劇場演劇の在り方を模索しているように感じられるのはすごいです。ご本人はたぶんそういう分け方をされてないと思いますが、三谷さんも小劇場出身(?)です。



芸術表現を追求する小劇場は、ときどきいじられてますが(最近だと、ドラマ「コンフィデンスマン」の佐野史郎さんの回とか、ドラマ「あなたの番です」の生瀬勝久さんのシーンとか)日本の演劇界の根底にあると言っていいと思います。



ですが、それゆえに金儲け的には難しく、行政も科学技術は手厚く支援をしても、文化芸術支援はせいぜいホール維持程度で、それすら最近は減少傾向にあります。そしてその根底には、科学技術は製造業を中心とする産業に寄与するが、文化芸術は寄与しないという前提があり、そこが正に争点となるわけです。



近年の、橋下大阪市長時代の文楽助成金削減発言だったり、ノーベル医学生理学賞を受賞された大隅先生の「科学が文化のようになれば」のような発言だったりも、これと同じ話なんですよね。



なので、製造業やがっつり商業主義のプロスポーツやメジャーコンサートに対して、その当事者が楽かどうかではなく、それらが小劇場あるいは文化芸術活動から見れば「優遇されている(ように見える)」ということが、コロナ禍以前からある対立なわけです。



これまでも同様の議論はあり、その度に自立だの文化と産業の経済的定量評価だのと繰り返しやってきていて、恐らくですが、お二人ともある種の批判が起きることはある程度承知の上で、それでも声をあげる立場としての発言ではないかとも感じられます。





平田さんが繰り返し「製造業を見下してはいない」と言っているのも、行政の支援差のことを言っていると思えば、理解できなくもない・・・のですが、正直ぶっちゃけ




私もこの姿勢は問題があると思ってます。








私は、野田さんや平田さんが、今このコロナ禍だからこそ、むしろ



芸術としての
小劇場の価値



を示すべきだったと思うんですよ。



ゲームはその価値が見直されました。


音楽はメジャーだけでなく、マイナーなクラシック歌手が配信したり、個人ベースでも遠隔でバンド活動やってみたりしてます。


ヨガやダンスは運動不足解消としてオンラインでやることが増えています。


経済が停滞し、みんなStay homeで半ば強制的に家にいないといけない。「家で楽しむこと」へのニーズは高まり、それまでは家で楽しんでいなかったことをみんなが必死で家で楽しめる方法を模索しているんです。



小劇場が何もやってないとは思いません。でも、商業主義批判の中で、社会に価値を示すこと自体に後ろ向きになってませんかね。社会から支援されることが前提になってやしませんかね。






芸術に価値があるというのならば、これだけみんなが新しい心の充実を探しているこの時期にこそ、それを示さないといけないと思うんですよ。



近藤さん、三谷さんがやったことを商業主義だと考えていらっしゃるのかはわかりませんが、それによって演者が顔すら合わせずやってる本読みでも人が喜ぶことの力を軽視しているとしたなら、そちらの方が製造業を見下しているかどうかよりもはるかに問題だと私は思います。



行動を起こせない弱者のために上げた声も、欲しがるだけでは生かせない。それどころか、下手するとマイナスになってしまう。


それよりは、難しく考えずにやれることをやる。

  • 最高のイタリアンにならずとも、お弁当で、真空パックで販売する。
  • 最高のトレーニングでなくとも自宅でやれるトレーニングをみんなに見せて力づける。
  • 最高のコンサートでなくても音楽をYouTubeで配信する

やれることは沢山あるはずです。






尤も、野田さんや平田さんは「自分でできること」を長年ずっとやっていらした方々なわけで、上述のように彼らが声を上げることで行政から支援を得なければ、それこそ演劇が死んでしまうという危機感も理解できます。



小劇場の舞台をYouTubeで見て面白くなるとは思えないし、もともと録画編集配信する映像芸術とは一線を画しているので、そのスタイルがネットに不向きなのは理解できますが、今の若い人たちは(すっかりメジャーになってしまった)ヨーロッパ企画がショートショートで遊んでいるようなことも受け入れてるんじゃないかと思うので、それぞれの世代で新しい表現を是非とも追究してほしいなーと強く願います。



私は願っているので、その願っていることに対して自分ができることとして、



#SaveArtsに支援しました。



savearts




平田オリザさん、私の出身の兵庫県に芸術振興で最近移住されたんですよね。兵庫県といっても豊岡市で日本海側なのでそこまで馴染みはないんですが、西宮や宝塚のアドバイザーもされていて、すごいなーって思ってます。



「見下された」と思って批判するのも表現の自由ではありますけど、どうせ自由を謳歌するなら社会が前に進む方向に謳歌したいなーと願ってやみません。だから、




#DoYourPart



しましょ!